「写真」を「希望」に、「未来」へつなぐ。

白鳥会長 
「片山会長のお考えはよく理解出来ます。 写真には、人に夢や希望を与えたり、もちろん感動をもたらしたり、無限の可能性があります。 私は1970年代から広告写真を撮り続けておりますが、写真家を取り巻く環境は、私がプロとして写真を撮り始めた時代とは随分変わりましたね。 特に、デジタルカメラの急速な普及とカメラ自体の性能が格段に良くなったことで、写真を撮るということが特別なことではなくなってしまいました。 写真技術の修練なしでも、極端に言えば誰でも写真が撮れてしまう。 また、簡単に撮った写真を、これまた簡単にインターネット上にアップ出来てしまう。 昔は、プロが渾身の力を込めて撮った写真は、報酬はもちろん、著作権もきちんと守られていました。 プロの写真家はそれを励みに、さらに高いレベルの写真を目指したものです。 現在は、インターネット上にありとあらゆる写真があふれています。 これは、一見多くの写真に触れる機会が増えたようにも感じられますが、逆に言えば、本当にいい写真に接する機会が少なくなってきたともいえると私は思っています。」

片山 
「プロが撮った作品には歴然としたすごさがあるはずですが、社会の仕組みがそれを埋没させてしまっているというのはたいへん残念なことですね。」

白鳥会長 
「プロが真剣に撮った写真のすごさというのは・・・、実は、それを見るほうも真剣に写真に向き合わないとその真価が見えてこないのです。」

片山 
「なるほど。 実は、私の妻の父が書道の普及に相当尽力した人物なんですが、生前よくこんなことを申しておりました。 書の道を究めた師よりも、有名人が書いた作品のほうがよく売れると・・・父はよく嘆いておりましたね。 世の中の常として、より利益のあるほうに人がなびいていくことはある程度仕方のないことなのかも知れません。 しかし、豊かな人間性や感性は、良いものを見た感動が自分の中に蓄積されることで育っていくものだと思います。 ですから、様々な分野で本当に良いものを見るという機会が不足してしまうということは、いつか国の文化が廃れることに陥ってしまうように思います。 写真家を取り巻く現在の状況も、長い目で見れば写真に関係する様々な業界にとって大きな損失になるのではないでしょうか。」

白鳥会長 
「その通りだと思います。 私はプロにしか撮れない写真というものがあると思います。 時代と共にクライアントが求めるものは変わりますが、良い写真には『絶対的な美』があるという信念を持っています。 私はスタジオで有名人を撮るという仕事を長年やっているのですが、写真を撮るという作業は、白いキャンバスに絵を描くような感覚なのです。 意図をもって光を作り、構図を決め、その人のどんな表情を引き出すか・・・。 そのすべてを計算してつくり上げます。 そして、ファインダー越しの緊張感の中、一瞬を見定めシャッターを切る・・・。 そんな私の一枚に皆さんがプロの仕事を感じて、私に仕事を依頼してくださるのだと思っています。」

片山 
「一流の料理人には長年培った隠し味があるように、一流のプロカメラマンには、シャッターを切るまでの様々な隠れた技があるのですね。 いやー、これは痛快なお話ですね・・・」

白鳥会長 
「カメラマンのおもしろさは、本当はそこにあるんですよね。」

片山 
「うーん、なるほど。 よく小説などで、行間の味わいなどと言いますが、一枚の写真の背景に、どれだけのものが潜んでいるかで写真の価値が決まるような気がしますね。」

白鳥会長
 「そうなんです。 カメラの性能がよくなったからといって、偶然撮れたいい写真と、私たちプロが自分たちの持っている技術や感性を、それこそ死ぬような思いをして搾り出して撮った写真を、そんなに簡単に比較されては困るわけですよね。(笑)」