東日本大震災の復興案について語る。

溝畑 宏 ✕ 片山 源治郎

観光庁長官の溝畑宏氏と弊社代表の片山源治郎の対談が、月刊『ソトコト』2011年10月号の別冊『チビコト』において掲載されました。
この対談で弊社代表の片山は、日本にある技術の粋を東北に集め、被災地が「食」をテーマとした生産と研究の場として再生していき、多くの雇用を生み、東北から食の情報を発信する復興案を提案しました。また、片山自身が阪神・淡路大震災で被災した経験を踏まえて、被災地の人ばかりでなく、日本人みんなが夢や目標とすることのできる復興が必要であることを訴えました。

『ソトコト』は世界初の「環境ファッションマガジン」として創刊された月刊誌です。「スローフード」や「ロハス」という言葉を広め、スローライフの先駆けとなった雑誌で、「無理なく、ヒトにも環境にもやさしい暮らしを」提案しています。今回、その『ソトコト』が、政府の一員として国の舵取りの一翼を担い、被災地の現状をよく知る溝畑長官と、独自の東北復興案を提唱する弊社代表との対談を企画しました。

溝畑長官「片山さんの案は、それらすべてを残しながら最新の技術を集積し、新エネルギーの実験が行われ、エンターテインメントもあれば、地産地消の実践もある。とても内容が濃くて、大震災後を象徴するプロジェクトになるのではないですか? 観光という視点も含まれていますし。」
片山「そうおっしゃっていただけると、嬉しいです。復興ではなく、日本を進化させるプロジェクトとして考えています。」

片山の提案した復興案は「食」を大きな柱としたものです。片山は、食に関わる産業である農業、漁業、畜産は、どれも単なるビジネスではなく、親から子、師から弟子へと技術や知恵が継承されている、いわば伝統事業であり、すなわち、文化であると考えます。その文化ともいえる「食」に関わる人たちを伝統事業者として国が保護し、無制限に民間企業を入れるのではなく、農業や漁業、畜産の先進的な知識や技術をもっている民間企業と上手に連携し、国際競争に負けないようにしていく。そして、被災地を、伝統的な日本の食の生産現場の知識を守っていく場とするだけでなく、世界に発信できる生産の最新技術を研究・実践する場とすることを提案しました。
具体的な案としては、漁業を例にして次のような考えを述べています。海岸沿いにいろんな養殖のための大きなプラントを設置し、これまでのあわび等の養殖だけでなく、最新の技術でトラフグやヒラメ等の魚やエビ、カニ等を養殖し、それを巨大な水槽のある水族館のような見せ方で展示すれば、産業と観光がつながる。そこには、岡山県の大学で行われている、淡水魚と海水魚が一緒に棲息できて、トラフグの養殖にも使える水の研究や、日本の企業が持っている水族館が巨大な水槽に使うガラスの技術が活かせる。いっぽうで、天然モノの魚が獲れたら、冷凍したり、加工したりして、一大加工産業地帯にもなり、素晴らしい技術で東北以外の場所へ運ぶこともできる。豊かな海を育むためには、森を育てなければならず、そのために間伐剤の利用、バイオマス燃料といった課題も必要になってくる。これらの中で、自然エネルギー、バイオテクノロジー、資源の循環などの実証実験をして外に出していく。このように、漁業だけに的をしぼっても、これだけの関連する技術や産業が考えられるのです。

片山「私は、復興は過去の復元ではいけないと思っています。過疎化が進み、高齢化が進み、失業率も高かった東北地方は、同じ震災でも神戸とは違います。元に戻すのではなく、大震災以前よりも盛り上げて行かなければならない。」
溝畑長官「韓国やシンガポールは、経済危機のときに思い切った政策をとり、成功しました。危機的状況だから思い切ったことができる、と考えることもできますね。」

片山は、自分自身が阪神・淡路大震災で被災した経験から、被災された方々が持つ、まず目の前にある問題、たとえば、お金や仕事、安心など、その日、その日を生きて行くための道筋をまずしっかりとつけてほしい、という切実な想いを代弁します。その上で、被災地を復興していくためには、被災された方々自身が復興を担っていくんだという気持ちにならなければ、本当の意味での復興に進んでいけない、ほうっておけば弱者を置き去りにした復興、人を置き去りにした復興が進んでしまうという危惧を訴えます。そして、「あえて言わせていただきます」と断った上で、現実的でないとか理想主義だといわれても、被災地の人ばかりでなく、日本人みんなが夢や目標とすることのできる復興案が必要であることを述べ、さらには、その案は世界をも視野に入れたもので、被災地だけでなく、これから日本がどんな国を目指すのか、そういう道筋を示すものでなければいけないことを訴えました。

溝畑長官は、これらの片山のプランが復興基本法により定められた復興基本方針にかなっていることを指摘し、「東北復興のシンボルにもなりますよ」と大きな期待を寄せられました。

(2011年8月4日時点)