今、必要な「危機管理」とは。

2000年の沖縄サミットでは全体を指揮

片山 
本日はお忙しい中お時間を頂戴し、ありがとうございます。
私どもジャスビコは、企業の社会貢献活動の在り方をご提案し、それを企業と一緒になって実施、推進していくことを主たる業務としているコンサルティング会社です。また、昨今は国を超えた国際的な社会貢献活動のニーズが高まり、私たちの活動範囲もグローバルになっております。そんな状況の中で、最近コンサルティング先の企業様からよく相談を受けるのが「危機管理」という問題です。金重先生は、日本を代表する危機管理アナリストとしてご活躍をされていらっしゃいます。きょうはどんなお話をお聞かせいただけるのか、大変楽しみにしておりました。まず、金重先生のご経歴から教えていただけますでしょうか?

金重先生 
私は、1969年3月に京都大学法学部を卒業し、同年4月警察庁(国の行政機関)に入りました。京都府警や大阪府警本部の課長を経て、警視庁(これは東京都の警察組織)に勤務しました。警視庁での勤務は、警察職員の教育訓練や人事・監察関連の課長・参事官、第1方面本部長(警視庁管内を10の方面本部に分け、その筆頭方面本部の責任者)、警備関連の課長、警備部長を歴任しました。その後、静岡県で県警本部長を勤め、警察庁においては総務審議官(『警察白書』作成や国会関連業務の責任者)、警備局長を務め、2000年7月の「九州・沖縄サミット」では警備対策責任者として取り組み2001年6月に退官しました。
公務員時代は、主として警察組織で勤務しましたが、この間、1980年から外務省に出向して在米日本大使館1等書記官、1990年から防衛庁(現防衛省)に出向して防衛局調査第1課長、1993年から内閣官房に出向して内閣総理大臣秘書官(細川総理、羽田総理及び村山総理(いずれも当時))を経験しました。

片山 
国家安全管理の要職を歴任されたことが、危機管理アナリストの第一人者といわれる所以ですね。

国家も企業も危機に対する対処法は同じ

金重先生 
いやいや、そんなことはないのですが…。でもそれぞれのポストにおいて、主として政府の危機管理に係る諸課題に関わってきました。つまり警察のほか、外務、防衛、内閣官房の仕事を経験し、多くの危機管理に関わる仕事をさせていただきました。そこで、退官後は、こうした貴重な経験とノウハウをいろんな企業の皆さんと共有し社会に貢献したいと考えたのです。私は、国家が直面する危機への対処の仕方と企業が直面する危機への対処の仕方は本質的に同じだと思っています。

2003年(平成15年)に株式会社国際危機管理機構を設立し、代表取締役社長に就任しました。現在は、同社の取締役会長です。これまで上場企業を含む数百社の危機管理経営コンサルティングの実績を持っています。また、上場企業を含め、社外取締役、社外監査役、企業内コンプライアンス委員会等の委員や顧問など多数のポストに就いています。このほか、東京都参与(危機管理担当)や経済産業省、文部科学省、総務省等の政府委員会等のメンバーをさせていただき、現在は、外務省の外務研修所講師や一般社団法人ニューメディアリスク協会(NRA)会長をしています。
また、大変名誉なことですが、2009年には「核物質管理功労者」として文部科学大臣賞を受賞し、2015年には春の叙勲で瑞宝中綬章を受章させていただいております。

片山 
すばらしいご経歴で感服いたします。昨今は、大学にも危機管理学部が新設されるなど、「危機管理」という言葉が私たちの周りでよく聞かれるようになりました。長い間平和と安全を謳歌してきた日本人には、まったく耳新しい言葉です。金重先生は危機管理に関する著書を数多く出版され、また国際危機管理機構という会社の会長をされていらっしゃいますが、危機及び危機管理という概念についてお話しいただけますか。

政府主導から民間主導に

金重先生 
そもそも、”危機管理”という用語は、Crisis Managementという英語の日本語訳です。これは危機管理の先進国、アメリカで生まれた言葉です。1961年4月、ケネディ大統領が承認し、キューバのカストロ革命政権の転覆を狙って実行された「ピッグズ湾事件」の反省教訓から、国際的な危機対処を迅速・的確に行うためホワイトハウス内に「危機管理室」(Situation Room)ができたのが、政府部内に危機管理を推進する組織ができた最初です。外交・安保政策の実施や、軍事行動の発動に当たって、十分な情報収集のもとにリスク分析を行い、「最悪の事態を想定し」、そのリスク回避のために「最善の措置を実施する」という考え方です。つまり、予測される被害・損失をどのようにコントロールするか、あるいは、発生してしまった被害・損失をどのように最小限に収めるかというダメージコントロールの考え方です。これが、後の「キューバ危機」(1962年10月)の時に役に立ったのです。

このように”危機管理”という考え方は、最初はアメリカ政府がとったアプローチですが、その後、民間企業にまで広まることになります。第2次大戦後の米ソ対立(「冷戦」)の中で、核開発、核弾頭搭載ミサイルの増産という深刻な”核戦争の脅威”に対処するためには危機管理というアプローチが必要だったのです。

当時、民間レベルでも「キューバ危機」を契機に、”核戦争の脅威”から核シェルターの建設、食糧・医薬品等の備蓄が行われるようにもなりました。しかし、「冷戦」の終結とともに、アメリカ政府部内では軍事目的以外の目的、主として大災害対策に、この手法が定着していくことになります。それは、アメリカでは毎年のように、大型ハリケーン、大洪水、大規模竜巻の被害があり、西海岸では時として大規模地震も発生していたからです。やがて、その後、「世界貿易センタービル爆破事件」(1993年2月)や「オクラホマシティ連邦ビル爆破事件」(1995年4月)など多数の死傷者を出す大規模爆弾テロ事件が発生するに及び、危機管理の手法はさらに進化し、こうした甚大な被害を生じるおそれのあるテロ事案に対しては事業継続計画(BCP)という危機管理手法が生まれ、「9・11同時多発テロ事件」(2001年)により、この手法の導入が加速されることにもなりました。BCPは、日本では震災対策として導入されていますが、アメリカではテロ対策がきっかけで始まっているのです。

片山 
なるほど、危機管理という概念が浸透する前提には、歴史的な必然があるわけですね。ところで、金重先生のお名刺を拝見しますと、「危機管理経営アナリスト」と書かれてありますが、先生ご自身あるいは国際危機管理機構という会社は、具体的にどのようなお仕事をしておられるのでしょうか?